糸三日月 作曲/小森昭宏
9月25日小森昭宏先生追悼コンサートで最も私の脳裏に焼き付いて離れなかったのが「糸三日月」という歌でした。ベテランの眞理ヨシコさんが歌い上げたのですが、大変素晴らしかったため、演出家の小森美巳さんに無理を言って楽譜を頂いてきました。この歌は、国を代表する日本歌曲と言っても過言ではないと私は思います。
糸三日月
作詞/金子静江
作曲/小森昭宏
茜色の 夕焼けの空
切り紙の 絵のように 刻まれている お月様
糸三日月 白く光る
願い事をすれば いつか 叶うと教えてくれたの お母さん
藍染めの 夜更けの空
いつのまにか ひっそりと 丸くなっている お月様
十五夜の月 銀色に光る
願い事はもう いつか みんな忘れてしまったの お母さん
(注)この楽譜の調合ですが、おそらくe-minor(ホ短調)ですので、♯が抜けて(ミスプリント)おります。少し画質が悪いのですがご勘弁を。。
この楽譜(ピアノ伴奏)全体を、細かく分析して行きたいと思いますが、先ずはじめに、「三日月は満月になるけれど」「自分の願いは満たされない」
という現実を伝えたい歌であると理解しておきましょう。そしてそれは、人は皆避けては通れない経験であると覚えておきましょう。全体を minor で統一している意味はそこにあるとも言えます。そして、自分がどのような悲劇を経験したとしても、母親から受けた愛情は本人の中に残っているという事です。
もっと言うと、それは教育まで遡ります。
さて、左手(ヘ音記号)が八分音符4つで、なだらかな音の上行を繰り返しています。これはおそらく、本人の記憶、回想、揺れている視界や、そよ吹く風(情景)等を融合させて情緒を創り出していると思われます。この前奏を聴いていると、私の体も、自然と左右に揺れてしまうのは気のせいでしょうか。
曲頭の入りは、右手の単旋律(H音)から始まります。
皆さんは、これに何を連想しますか?
私は「糸」です。
たった一本の糸から、2ページのスコアへと仕上がるのです。
では、「糸」とは何であるか?を考えてみて下さい。
その動機は人それぞれ違って構わないのです。
1段目四小節目では、構成された音符をバラ(分散)して奏でて欲しいと記されています。そしてゆったりとした裏拍のリズムは、おそらく本人の溜息と落胆を表現しているのではないでしょうか?
前奏の三小節で、どのような情景であるかを導き、
その情景を崩さず、その場に立っている人間の心理とを融合させます。
歌い出しの歌詞「あかね」と発音してみましょう。アクセントは何処につきますか?
「あ」でしょうか?「か」でしょうか?「ね」でしょうか?
「あかね」は、「か」にアクセントがつくのが標準語です。
あ(H音)と、か(C音)の音が半音上がるだけで、そのように聴こえます。
従いまして、この2つの音を特別意識して歌う必要は無いのです。何故なら、そのように作られているからです。これが「音程」です。
「音程」とは、音を間違わずになぞるだけではないという事です。
さて、皆さん。
突然ではありますが、溜息をついてみて下さい。
「ハア…😩」
四小節目で溜息をつくためには、その一拍前で息を吸う(ブレス)必要があります。
これをピアニストに伝えましょう。これが「伴奏合わせ」と呼ばれるものです。
「合わせ」とは、単に主役と脇役とのタイミングを機械的に合わせる事ではないという事です。
溜息は、下を向いてつく方が多いのではないでしょうか?それとも、溜息をついてから空を見上げましたか?どちらも正解です。この歌に登場する物語りの当事者は、四小節目で(私の勝手な感覚で申し訳ないのですが)溜息をついては下を向き、次の小節で「空を見上げた」という設定にしてみます。この動作が、mf(メゾフォルテ) dim. (デイミヌエンド)rit.(リタルダンド) といった流れで表現して欲しいということです。これらを崩さずに「あかね〜」と歌います。
これをやってのけるのがスコアリーディングであり、歌唱力と呼ばれるものです。
次に、
「茜色の夕焼けの空」というフレーズから、「切り紙の絵にように」というフレーズに移行します。この移行は完全5度で跳躍します。段落の切り替わりを意味します。が、ぶっきら棒に突然切り替わるのではなく、景色を崩さず「慎重に5度を跳躍していただきたい」という歌い手へのメッセージが記されています。それが mp という表記です。ここまでの解説で、空に月が現れましたでしょうか?
p1の一番下の段(4段目)、一小節目の3拍目、4拍目。
この箇所は糸が途切れないように次の歌詞「いとみかづき」へ繋げて欲しいという歌唱力を求めていると言えます。また、三日月が見えたという「気付き」を表しています。そうでなければ、わざわざこの譜面に記されている rubato(ルバート)の役割が何であるかの説明が付かないのです。どちらを選択するかは歌い手の自由です。これを理解した上で「いとみかずき」という言葉を声に乗せて表現したいです。
この箇所の当事者の心理は、確かに落胆で朧げではあっても、この歌曲のタイトルロール「糸三日月」という歌詞は、決して朧げに発音すべきではありません。それを a tempo(アテンポ)という表記と、主和音(e-minor)に戻すことで指定しています。但し、強く、鋭角的に発音しろという意味ではありません。もっと言うと、落胆した朧げな心理から「ハッキリとした白い三日月」を認識するまでの視覚的な過程を表現して欲しいということではないでしょうか。この場合の rubato から a tempo (5度から1度の和音)への移動はそれを意味します。擬態語を用いますと、「凛とする」という言葉がシックリきます。
次の項へ移ります。
伴奏を見ていただきたいのですが。。二小節目で、ヘ音記号、つまり低音を全て省き、ト音記号だけの世界観へと導入します。
皆さんは、この音の高さと繰り返し反芻するテンポに何を感じますでしょうか?
私には遠い記憶、うっすらと残る想い出などが甦って仕方がないのです。
それは、背中の温もりを感じた、ある時かもしれません。
両腕の温もりを感じた、ある時かもしれません。
あの時、母が私に何と言ってくれたのか…
あの時、母は私に何をしてくれたのか…
作曲家/小森昭宏先生の作品には、見たことも聴いたこともないような、特殊な楽器などは登場しません。難解複雑な和音もありません。そんなものは全くいらないんです。たった2ページで、大きな感動の渦へと導くことが出来るのです。
昭宏先生の楽譜を読む度に、
こう言っているように思えて仕方がないのです。
「音楽に小細工は必要ない」
寺尾たかひろ